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Do positivate and Do not negativate!!

僕の性格について。

僕の性格。現状は、「勝ちに拘りすぎる」というもの。

遊戯王の影響だろう。

そして、重要なのは、その結果。

・勝てるなら勝とう

勝てるかもしれない勝負は、それこそ「死ぬ気で」勝ちに行く。

勝ちは至高と信じている。

だからこそ、戦術を必死に調査、考察し、考える。

倫理にもとる行為でも、それが相手を勝ちに導くなら、それを「上手い」と思う。

元々、考えるのは大好きだ。

だからこそ、「お前は考えてる」と言われるのが大好きだ。それは称号だ。

・・・まあ、無理矢理言わせてる感があるときもあるが・・・許してください。

失礼。話がとんだ。

こんな人間だから、

勝つと、舞い上がるほと嬉しい。

負けると、ねじきれそうになるほどキツい。

だから負けると、また「死ぬ気で」負けた理由、勝つ方法を探る。

これは、場合によっちゃ良いことだ。新しいものを学びたいという姿勢に他ならない。

だが、あまりにも拘るために、その探求が暴走する。

不機嫌なんてもんじゃない。

「なぜ負けた!なぜ勝てない!」

勝ちたい。とは少し違う。

負けたくない。負けは、自己の存在の否定であり、最大の屈辱だという強い概念に襲われる。

「負けたくない。負けられない。勝たなければ!!」

アニメ風のかっこいいことば。だが、前提のせいでこれはただの「病み」。

だから、負けた後は、まともな思考ができない。

頭のなかが、「勝てない」で埋まる。

自分は負けて、勝てないのだと信じ込む。

不機嫌なんてもんじゃない。

いつも一応折れた心を元に戻そうと努力するが、かなり難しい。

精神的に、ギリギリになる。

・負けそうな試合

諦めるな、とはよく言われる。

僕もゲームを繰り返し、少しのことでは諦めなくなった。

だが、あまりにも勝てないと脳がはんだんすると・・・心が折れる。

こんなゲーム、やっても勝てる筈がない。

この瞬間、僕の脳内で僕の負けが確定する。

負けから逃げなきゃ。でも勝てない。

だから、棄権する。

棄権なら、ゲームでぶつかって負けたわけじゃない。

負けてはいない。と言い聞かせられる。

・・・いつもこんなんで、やって、楽しくて、今までの苦しみが、馬鹿みたいに思える。

・・・・・・

他のひとの日記とか読むと、同じように苦しむ人が居る。

もっと「楽しい」ゲームがやりたいのになあ…

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僕は吸血鬼のように。

夜。約満月。朧月。

我が唯一の自由な時間。

心で迷うは、一抹の寂しさ。

心満たすは、別世界の快楽。

さあ。幕は閉じた。

僕の劇場は、佳境を迎える。

無観客だが、構わない。

ビーーーー。

さあ、我を鼓舞せよ。

疲れるまでの、狂宴狂喜。

明日を迎える、それまでで。

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あるやつに対するささやかな抗議文(笑)

僕は今から、あるやつに多少の抗議をしたい。

もし、貴方が女の子なら、貴方ではない。

もし、貴方がポケモンをたしなまないなら、貴方ではない。

もし、貴方が色違いポケモンを少ししか持ってないなら、貴方ではない。

勘のいい「あるやつ」なら、気が付いてくれただろう。

コリンクの怨み、はらさでおくべきか。

ちなみに、僕は今から半端なくイライラさせる文体で書く。

体調が悪いなら、回避するのをお勧めする。

・作品の重要性

僕にとって、自分が好きな作品への思いは、神に対するそれと同じ、と言うと大袈裟だろうか。

要は、触れるのを自重すべき芸術作品、みたいな感じだ。

だから、僕が好きになった作品は、自分では読めなくなる。

その作品は、気軽に触れてはならない、と考えるから。

だからこそ、ネギまは4刊ぐらいたまっているわけで。

そして、その「神」を貶すものは、絶対に許さない。

同人も。ネタも。

そして、だからこそ、

あの行為は、原作を貶すに足る。

作品は貶してないと思うかもしれない。

だが、それは認めるが。そして、自己中心的だが、君が貶めたのは、作品そのものではない。

僕の中に存在する、物語。

僕の記憶に、作品の記憶に、一点の傷を点けた。

なぜ、僕は本気で怒るか。

自分の好きな作品の印象が、その傷の印象に置き換わるから。

印象で、作品が破壊されるような感覚に襲われるから。

僕が物語を読んでいる最中に機嫌が悪いのも同様だ。

機嫌が悪いのではない。その作品の印象が、話しかけられることによって、変化する。

・名前の重要性。

僕にとって名前は、そのものがどうあって欲しいという願いを込めた、
またも大袈裟に言えば、ある一種の呪文のようなものと捉えている。

つまり、大事なもの。

こんな短文で何が言いたかったか。

僕から見て、君の行動は、

許せない行為を許せない場所でやらかした、と映った。

なんと自己中心的な話であろうか。だが、事実に変わりはない。

譲歩としては、僕の非難の方法が幼く、そちらの心証を悪くしたのは認めよう。

だからこそ、そして半端なく自己中心的だからこそ、誌上にて抗議する。

本当は、この行動さえ原作を壊しかねないからかなり怖いのだが。

爆弾抱えて動くよりましかなあ、と。

…頑固、というか、妙なところでカタイ人間だが、許してくれるとありがたい。

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